S40年前後

またまた古い写真です。
101021 4
南ア椹島・滝見橋です。 橋が吊橋ですが、基本的な眺めは現在も変わっていません。 
続きを読む
スポンサーサイト
17:55 | 思い出 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

S38・39

1963年(昭和38年)8月、今の私からは想像できない、若き日の私(一番手前)がいます。
101017 1
創部初めての夏合宿で、梅ヶ島新田-大谷崩-山伏-笹山-大日峠-開拓を歩いた時の写真です。
山伏の近くで撮ったものだと思いますが、場所は不明(似たような地形が多すぎて)です。
続きを読む
21:39 | 思い出 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

45年前

またまた古い写真が見つかりました。

ooya 40.3
上は1965年3月、下は2010年5月の大谷崩です。
100516 1
ほぼ同じ場所(下は蓬沢林道から)で撮ったようです。 上に比べると樹木が増えているのが判ります。
上の中央下部分にある針葉樹が、下にもあるのが判ります。この木の左あたりが「扇の要」になります。
また、上写真の一番下は堰堤の工事現場です。下写真の右下に堰堤が二基埋まっているのが・・・。 おそらく下写真手前に埋まっているのが、上写真の工事中の堰堤だと思います。

他にも南アの古い写真が見つかりましたので、またUPしたいと思います。
17:18 | 思い出 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

OB会

昨日、中学時代の山仲間が集まりました。

100822 1

私が山歩きを始めたのは10歳から。
そして中学3年の時、静岡市立東中学校にハイキングクラブが創設されました。
現在では教育委員会が絶対に許可しないでしょうが、当時は全国で5校にハイキングクラブがあったそうです。
で、その活動内容というのは、ハイキングというより山岳部といったほうが良いでしょう。
雪の中も歩けば、南アにも入るという具合でした。

それから48年がたち、顧問だったS田先生が元気なうちに集まろうということで・・・。

前回集まったのは32年前の盆休みで、場所は安倍奥・大谷崩の扇の要でしたが、今回は街中のホテルでした。
部員全員というわけにはいきませんでしたが、先生を含めて11名が集いました。
皆、齢をとりましたが、面影はそのまま!

昼前から飲み始め、散会は19時頃。 いやー、よく飲みました。
出てくる話は、その昔の山行のこと。 皆、良く覚えていました。

毎年というわけにはいきませんが、これからも定期的に集まることになりました。
17:38 | 思い出 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

苦い思い出

先日歩いた「釜石峠」を始めて歩いたのは半世紀も前のこと。
父と私、そして静岡エーデルワイスクラブ(女性だけの山岳会)の方々とだった。
安倍川西岸の松野から歩き始め、トワ山-打越峠-大棚山-釜石峠-栃沢を経て立石へ下ったのです。
その時の記憶に残っているのは、大棚山からの景色の良さ(今は植林が大きくなり展望はありません)と、山頂で食べた海苔巻きが美味しかったこと。 そして栃沢集落の一番上部にあった家のことです。 その家は道の右側にあり、家と道との間には一抱え以上あるヒノキが何本も植えてあったこと。 古い建物の縁側に座ってお茶を頂きながら、柱や梁がチョウナで削られているのを見回していたことを今でも鮮明に覚えています。
そのお宅が「米沢家」です。
米沢家は、静岡では「お茶の始祖」と呼ばれ、唐から「うどん」「饅頭」などを伝え、九州博多では祇園山笠にも登場するという知る人ぞ知る有名人聖一国師の生家なのです。  聖一国師円爾聖一国師Episode
そしてもう一つ、宇治川の合戦の先陣争いに「磨墨」「池月」という二頭の馬が出てきます。 その「磨墨」が生まれたのも米沢家なのです。 一説に磨墨は飛騨の生まれとも言われていますが、私は栃沢生まれだと思っています。

さて、苦い思い出ですが
続きを読む
17:47 | 思い出 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑