蓼科山

昨日(12/23)は、蓼科山へ行ってきました。
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カメラの設定ミスで、全てB&Wになってしまいました。 
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17:43 | 尾根 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

鉱泉でコーヒー

昨日は、八ヶ岳の赤岳鉱泉へコーヒーを飲みに!行ってきました。

静岡を8日20時頃出発。 小淵沢ICを出ると、周囲には雪が見え、鉢巻道路は路面も真っ白!
23時過ぎ八ヶ岳山荘着。 気温は既に-7℃。 仮眠室に入ると、先発組が布団を敷いて待っていてくれた。
今まではテントで仮眠だったが、齢のせいか暖かさを求めて・・・。 
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6時過ぎに美濃戸の赤岳山荘を出発。 M浦、H、S井夫妻、私の加齢組に何故か若干27歳のS本君が加わり、北沢沿いに赤岳鉱泉に向かった。 もう一つの沢、南沢から行者小屋へTをリーダーにS宗、S木、H野、F沢、E間が向かった。 そして8日に行者小屋でテン泊したF谷、U田、N田、M田、M島は、赤岳主稜を狙っている。
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北沢沿いに林道を登って行くが、道路上にも北沢にも雪が積もり、道路脇には長い氷柱が垂れ下がっている。
当然道脇の樹林も真っ白!!
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18:55 | 尾根 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

また雪が

4日に続き、また積もりました。
今日は大谷崩が白くなっていました。
降雪があったのは真富士山以北です。
真富士の山頂付近が薄ら白くなっていましたが、午後には融けてしまったようです。

大谷崩は、全ての沢筋が白くなっていました。 おそらく最後の水場付近まで積雪があったものと思われます。

今日の午後は天気も良く安倍川の橋の上から、伊豆半島・愛鷹山・富士山・安倍奥の山々、その奥に白くなった大無間山、真っ白な聖岳が望まれました。 
あまりの展望に、わき見運転のしっぱなしでした。
18:35 | 今日は | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

初雪

今日の昼前に気付いたのですが、山伏の扇ノ崩が真っ白になっていました。
近くの雨量計、大谷崩駐車場にある国交省の雨量計は今朝6:00から9:00(実際の観測は5:00~9:00)の間に14mmの雨量を観測しています。 同時刻の井川(標高775m)の気温は4℃~1℃で、山伏では十分雪になる気温でした。 すると、山頂付近では10cm前後の積雪があったと考えられます。
日曜(12/2)の気温と雨を考えた時、初雪を期待したのですが、静岡市の山間部には雨が降らなかったようです。
それにしても、12月頭にそこそこの積雪があったとは、例年よりかなり早いと・・・。

9日の日曜には所属会の初雪踏み山行で、八ヶ岳へ行く予定です。
  もう既にアイスクライミングに出掛けたりで初雪踏みを実行した会員が何名かいますが
17:16 | 今日は | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

友が

昨日、友人の葬儀に出席してきました。

拙ブログの“思い出”に、中学時代のハイキングクラブのことを記してきました。
私が3年の時に創部されたもので、その時の一年後輩だったY田君が突然亡くなってしまった。
2年前の8月に、彼が中心になってOB会を開いてくれた。 写真の一番右に写っているのが彼で、おでこが広くて明るい性格から「たいよう」と皆から慕われていた。

たいようとは、クラブができてから月に1~2回は山行を共にしたと記憶している。 クラブ員との山行もあったが、二人だけの山行も数多くあった。 私の父が当時の岳連で遭難対策委員長を務めていたので、山行の度に計画書をオヤジに提出するのが義務だった。 二人だけの時にも、「先生も一緒」と嘘を書いて出掛けたものだった。

特に記憶に残っているのが、平野から真富士に登り、地蔵峠へ縦走し有東木を経て渡へ下山した時のこと。
平野の山下商店横から歩き始め集落を抜けると登山口があったのだが、林道の開削が始まっていて登山道が見つからない! 開削中の道路の両側に登山道を探しながら歩き、ようやく道(現第一登山口とは違う)を見つけた時の喜びは今も忘れられない。 第一真富士から第二真富士へ進み(老平から真富士峠への道は未だ無かった)、そこからは二人とも未知の世界。 5万図の地図を手に北上を始めた。 今でも歩かれる方は少ないが、当時は微かな踏み跡のみで、地図無には歩けなかった。
しかも、どの辺りからか記憶に無いが、背丈の倍以上ササの中を歩くことになった。 浅間原の水場への分岐や送電鉄塔の記憶も無い。 ササの中をひたすら歩き、気が付いたら細嶋峠だった。 峠の東西に薄い道があったが、何回か歩いている地蔵峠から有東木へ下り、終バスの時間を気にしながら渡まで走り下った。 というのが、たいようとの一番の思い出です。

祓いの席で姉上と話して判ったのだが、たいようはクラブができる以前に姉上と一緒に山登りをしていたようだ。
クラブができてからは卒業まで(二代目部長として)部員や私と歩き、その後もあちこちの山々を歩いていたようだ。 高校卒業後は庭師という職を選び、京都で修業したから近畿の山にも足跡を残したのかもしれない。

親父と山行を共にしていた私にとって、彼との山行が親からの自立をさせてくれたものと今になって思う。
たいようと出会ってから50年、惜しい仲間を失ってしまった。
山仲間を何人も見送ってきたが、今回は今までとは違う虚しさが・・・。

安らかに眠られることを  合掌
17:36 | 今日は | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑