仕入れに
10/19/2020 (Mon)
昨日は、家内の店「Ku」のコーヒー豆の仕入れに、アルムへ行ってきました。
こちらはアルムの店主夫妻です。
家内が「未だ諏訪原城を見たことがない」と言うので、二人で一回りしてきました。 諏訪原城の名の元になったという、諏訪神社(二の曲輪大手馬出にあります)鳥居前で。
こちらはアルムの店主夫妻です。
家内が「未だ諏訪原城を見たことがない」と言うので、二人で一回りしてきました。 諏訪原城の名の元になったという、諏訪神社(二の曲輪大手馬出にあります)鳥居前で。
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前回来た(街道歩き Ⅱ)時にはなかった諏訪原城ビジターセンター(概ね月曜休館)が開館していたので寄ってみました。
現在判っている城跡(徳川氏による改城後)の様子と、二の曲輪中馬出のジオラマ。
最初に武田氏により築城されたころは、現状よりも小さかったようです。
二の曲輪北馬出の門。 門の中に、冠雪した富士山が見えました。
門の左に見える平地が二の曲輪で、門の扉の奥に見えるのが二の曲輪中馬出の一部です。
下写真左は二の曲輪中馬出外側の空堀で、下右は内側にある外堀です。 堀は写真で見る以上に深く、5m以上あります。
下写真は二の曲輪です。左下が東側で右が通路を隔てた西側です。 サッカーが2面でできる位広いです。
本曲輪との間にある内堀(左下写真)と、本曲輪(50×80m強)です。
本曲輪東端からの眺めです。 島田市市街(中央に大井川)と左奥に富士山。
各曲輪の周りには、土塁が見えます。
下は前回見なかった二の曲輪南馬出と、
二の曲輪東内馬出(馬出の内側の堀は埋まっていますが、外側は残っています)と、
二の曲輪東馬出です。
上の三ヶ所の馬出は、旧東海道が牧之原台地に上がってくるすぐそばに位置していますので、守りには重要な場所だったと思えます。
アルムには何度も来ている家内ですが、初めて諏訪原城をみて大満足だったようです。
機会があれば、諏訪原城と同じく徳川・武田の激戦地となった高天神場を訪ねて見たいと思います。
前回来た(街道歩き Ⅱ)時にはなかった諏訪原城ビジターセンター(概ね月曜休館)が開館していたので寄ってみました。
現在判っている城跡(徳川氏による改城後)の様子と、二の曲輪中馬出のジオラマ。
最初に武田氏により築城されたころは、現状よりも小さかったようです。
二の曲輪北馬出の門。 門の中に、冠雪した富士山が見えました。
門の左に見える平地が二の曲輪で、門の扉の奥に見えるのが二の曲輪中馬出の一部です。
下写真左は二の曲輪中馬出外側の空堀で、下右は内側にある外堀です。 堀は写真で見る以上に深く、5m以上あります。
下写真は二の曲輪です。左下が東側で右が通路を隔てた西側です。 サッカーが2面でできる位広いです。
本曲輪との間にある内堀(左下写真)と、本曲輪(50×80m強)です。
本曲輪東端からの眺めです。 島田市市街(中央に大井川)と左奥に富士山。
各曲輪の周りには、土塁が見えます。
下は前回見なかった二の曲輪南馬出と、
二の曲輪東内馬出(馬出の内側の堀は埋まっていますが、外側は残っています)と、
二の曲輪東馬出です。
上の三ヶ所の馬出は、旧東海道が牧之原台地に上がってくるすぐそばに位置していますので、守りには重要な場所だったと思えます。
アルムには何度も来ている家内ですが、初めて諏訪原城をみて大満足だったようです。
機会があれば、諏訪原城と同じく徳川・武田の激戦地となった高天神場を訪ねて見たいと思います。
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